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    題名: 脇蘭室の思想ー聖賢に学ぶ修己治人の道ー
    其他題名: 脇蘭室的思想—向聖賢學習修己治人之道—
    作者: 田世民
    關鍵詞: 脇蘭室;歲闌漫語;修己治人;熊本藩
    日期: 2016-12-01
    上傳時間: 2017-01-10 02:10:41 (UTC+8)
    出版者: 台灣大學日本語文學系
    摘要: 本稿は、これまで近世思想史の中であまり注目されてこなかった豊後国(今の大分県)速見郡小浦出身の儒者脇蘭室(1764-1814)を取り上げてその思想を考えるものである。蘭室は、天明4(1784)年21歳の時、熊本に遊学し藪孤山の門に入って朱子学を学んだ。そして、天明5(1785)年とその翌年の2度に亘って、豊後富永の三浦梅園を訪ねて教えを請うた。さらに、天明7(1787)年24歳の時大坂に遊学して懐徳堂の中井竹山の門を叩いた。大坂での滞在はわずか5ヶ月だったが、その後頻繁な書簡の往復や33歳の大坂再訪などによって師竹山をはじめ懐徳堂周辺の知識人たちと密接な交流を重ねた。本稿は、まず蘭室の『歳闌漫語』といった著作を取り上げそこに込められた「修己治人の道」という大きなメッセージ、およびそれに関わる蘭室の顔子評価を考える。さらに、蘭室の思想がいかに熊本藩の指導者への建言書に集約され経世論として展開されていったのかを見ていく。
    本文的目的是探討前此在近世思想史不受注目的儒者、豐後國(今大分縣)速見郡小浦出身的脇蘭室(1764-1814)的思想。蘭室在1784(天明4)年21歲時遊學熊本、入藪孤山(1735-1802)之門。翌年拜訪豐後的三浦梅園(1723-1789),向其問學請益。1787(天明7)年24歲時遊學大坂、師事懷德堂的中井竹山(1730-1804)。蘭室在大坂僅停留五個月,但是之後透過頻繁的書信往返、以及33歲時再訪大坂,與竹山及懷德堂有關的知識人之間有著密切的交流。本文分析蘭室的《歲闌漫語》等著作,探討其如何強調「修己治人之道」、並以此評價顏淵。還有,分析蘭室向熊本藩執政者的建言論著,來探討他的經世思想。
    關聯: 台大日本語文研究 32,頁223 - 247
    DOI: 10.6183/NTUJP.2016.32.223
    顯示於類別:[日本語文學系暨研究所 ] 期刊論文

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